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時代を変える産業の社会実装を、新たな仕組みで支援する川田。「KPI管理は苦手」「挑戦する気持ちが大切」という価値観の奥にあるものとは。

時代を変える産業の社会実装を、新たな仕組みで支援する川田。「KPI管理は苦手」「挑戦する気持ちが大切」という価値観の奥にあるものとは。

BtoBスタートアップ事業開発営業戦略代理店モデルプラットフォームビジネス成果報酬モデル

2025.08.22 公開

会社概要 - company profile

企業名:株式会社KAEN

設立:2018

事業内容:「セールスインフラサービス TAAAN 」「スカウトAIサービスScoutBase」「パスワード管理SaaSパスクラ」の企画・開発・販売・運営

推薦理由 - Reason for recommendation
野島剛

野島剛

株式会社トドケール 代表取締役CEO

創業者の川田さんは情熱的ながらも素直で飾らない魅力的な人柄で多くの有能な人材をひきつけ、KAENはほぼ自己資金とデットファイナンスのみで事業を伸ばしていると聞いています。メインのサービスであるTAAANはすでにPMFを迎えており、ほかにも複数のサービスを展開するコンパウンド戦略を目指しているみたいですね。 多額の資金をVCからのエクイティ調達で賄い、Jカーブでの成長を目指すこれまでのスタートアップとは一線を画している次世代型のスタートアップと言えると思います。さらなる成長に期待しています。

これまでのキャリアと創業の経緯について

─────まず最初に、ご自身のことについて教えていただけますか?


株式会社KAEN(かえん)代表の川田です。出身は栃木県の宇都宮市で、半導体商社を経営していた父と、そんな父を支える母に育てられました。優しい両親で、自分たちが高卒だったからか、私には「良い教育を受けさせてあげたい」と言っていました。私もそんな両親の期待に応えようと勉強をがんばり、県内トップの高校に進学することができました。


ただ、高校受験で力を出し切ってしまい、大学受験はうまくいきませんでした。2年浪人して両親に迷惑をかけてしまいましたし、県内トップの進学校だったこともあり、「まわりの友人は良い大学に行っているのに自分は、、、」と悩みました。ここから、承認欲求に囚われ、苦しむ日々が始まりました


 浪人をして、なんとか大学に入ったのですが、受験に失敗した経験が尾を引いてしまい、せっかく入学したのにキャンパスライフを楽しむことができませんでした。1年目の前期は取得単位ゼロ。学校にも行かず、家に引きこもるようになってしまい、このまま大学を辞めてしまおうと思っていました。


 両親の期待に応えられず、高校の友人と自分を比べて落ち込む日々でした。せっかく大学に入ったのに楽しめておらず、「誰かに評価されたい、評価されるべきだ」という承認欲求にとても囚われていたんです。


「諦めずいろいろがんばってみよう」と思い直し、辞めようと思っていた大学も続けることにしました。大学受験はうまくいかなかったから、代わりに就職活動をがんばろう!と気持ちを切り替えたんです。


気持ちは切り替えたものの、簡単にはうまくいかず、就職活動には苦戦しました。ここでも承認欲求に囚われてしまい、「大企業のエリートになって認められたい」と財閥系の会社を受けまくったりしたのですが、うまく行きませんでした。 


同じやり方を続けていてもダメだと思い、少しやり方を変えることにしました。2012年には当時の学生がほとんどやっていなかったスタートアップでのインターンをやってみることにしたんです。結果的に、このインターンが大きな転機になりました。


 私がインターンさせてもらったスタートアップはベンチャーキャピタルから出資を受けている会社で、そのベンチャーキャピタルのシェアオフィスを使っていたんです。そのシェアオフィスには他のスタートアップも入居していて、いろんな会社が同じフロアで仕事をしていました。


なかにはメルカリやBASE、Gunosyといった会社がありました。彼らはその後、社会を変えるような企業に成長していくんですけど、その立ち上げをしていたような人たちと同じ空間で仕事をしていたんです。「良い事業、良いサービスをつくるぞ」と大の大人が毎日本気で仕事と向き合っていて、すごい熱気を感じました。いま思うと、創業期にすさまじく高い熱量があったからこそ、後々大きな会社へ成長していったのだと思います。


そうやって仕事に打ち込む人たちと近い距離で働いていたことで、社会を良くするサービスを生み出す熱気のようなものを感じられたと思っていて、個人的にはすごく良い経験ができました。ここで、「まわりから良く見られたい」とか「他の誰かから評価されたい」といった承認欲求を満たすことよりも、自分の意思で自分の道や自分の人生を決める重要性に気づいていきました。


インターンを通じて、自分も世の中にインパクトを与えるような急成長中の会社で働きたいと考えるようになりました。そこで、ECのコンサル事業をやっているエスキュービズムという会社に新卒として就職したんです。当時、ECの領域が大きく伸びていて、これからの世の中の新しいインフラになるようなECサービスは、とても魅力的に映りました。


入社当時、会社は上場に向けて急激に成長しているところでした。役割もどんどん変わっていき、営業やカスタマーサクセスを経験しましたし、出向して店舗スタッフをやったりプロダクト開発を担当したりもしました。


そんな中、上場に向けてさらに売上を伸ばすために社内ベンチャーを立ち上げることになり、私も立ち上げメンバーのひとりとして参画することになりました。立ち上げたのは昭和型営業の会社で、この経験が『TAAAN』を立ち上げた際のひとつのポイントになってきます。


─────差し障りのない範囲で、立ち上げのときの話を教えてください。


立ち上げていたのは営業に特化した会社だったので、とにかく量をこなすスタイルでした。法人向けにホームページ制作システムやコピー機、法人携帯などを提案していて、1日に数百件の架電をしてアポを取るような感じです。アポが取れる確率は平均0.03%と低く、いまとなっては前時代的な営業をしていたと思います。一方で、「まずは行動すること」であったり「しっかりと量をこなすこと」、それに「決めたことをやり切ること」など、仕事をする上での大切なマインドが身についたと思っています。


しかし、営業をしていく中で、「自分はお客様の課題を解決する提案や仕事ができているのか?」「自分が売りたいものを、ただ案内しているだけではないか?」と思うようになってきたんです。


成果が出れば評価をしてもらえますし、インセンティブの割合が大きかったので、懐はどんどん豊かになっていきます。でも、インターンしていたシェアオフィスで感じたような「世の中を良い方向に変えるサービスを広げていくぞ!」という空気とは少し違っていて、これまでにないサービスで世の中の課題を解決するような仕事がしたいと考えるようになりました。そこで、たまたま知り合いから紹介された日本美食(現:TakeMe)という創業直後のスタートアップに転職したんです。


─────転職先ではどのような仕事を担当していたのでしょうか?


転職したのは2016年だったのですが、その会社は時代に先駆けてインバウンド向けの決済インフラを開発していました。フィンテックの技術を使って、これまでにない新しいサービスをつくっているタイミングで、「テクノロジーを活用して消費行動を変える仕組みを広めていきたい」と思い、一人目の社員として入社したんです。まだアプリも完成してない段階から営業活動を始め、他にも採用広報や事業アライアンス、資金調達など幅広い仕事に携わることができました。


仕事を通じて学ぶことができたのは、GMV(Gross Merchandise Volume)という概念です。GMVは、一般的にはECサイトやマーケットプレイス型のビジネスにおける取引総額を表す指標として活用されますが、流通する商品やサービスの取引額を増やすことで事業を大きくスケールさせることができるという考え方です。マーケットプレイスを成長させることで、売り手と買い手両方のお客様に価値を提供できるので、顧客の課題解決につながる提案がしたかった私にとっては学びの多い環境でした。


その後、日本美食(現:TakeMe)時代にお付き合いがあったWakrakという創業期のスタートアップに転職しました。ブルーカラー領域のスポットワークサービスを展開していて、私としては働く環境の選択肢や機会を増やす、「人」にフォーカスを当てているところに興味を持ったからです。


労働力をシェアリングするという考え方は、日本社会のメイン課題として挙げられる労働人口の減少という課題を解決するための打ち手のひとつになると思いました。当時から、従業員が減ってしまい、黒字であっても倒産する飲食店や小売店があったので、ワークシェアリングのインフラの構築を通じて社会の課題を解決できるんじゃないかと考えたんです。


Wakrakでも役割はマーケティングやCS、営業から資金調達と、ゼロイチの創業でした。またスタートアップにおいては、少ないリソースで成果を出すことが必要だったので、外部リソースをフル活用する開拓戦略として、代理店戦略に注力していました。


代理店を開拓していくなかで、代理店側のニーズにも改めて気がつくことができました。売上になる商材を求めている代理店もあれば、お客様に提案しやすい商材を求めている代理店もあります。お客様に提案しやすいというのは、イコールで課題解決につながるサービスということです。言いかえると、これまでの当たり前を変えるような、そんなサービスだと思います。ワークシェアリングのサービスは労働力の確保に課題があるお客様に対して、提案しやすいものでした。代理店にがんばっていただいたこともあって、順調に業績を伸ばすことができました。


インターンで世の中を変えるようなサービスをつくっているスタートアップと同じ空間で働き、就職して泥臭い営業を経験しました。転職してGMVという概念とビジネスモデルを学び、代理店開拓を通じてワークシェアリングというサービスを世の中に広めることができました。これらの経験を通じて、「世の中を変えていくようなサービスを社会実装するための支援をしたい」と考えるようになりました。


Wakrakでの仕事は順調でしたが、いつのまにか創業メンバーである自分のポジションを守ろうとしている、社長が個人で掲げるビジョンを実現するためのパーツになっている、そんな感覚がありました。「また承認欲求に囚われている」「自分の意思で自分の道を決められていない」と気づいたんです。自分らしく、自分が心からやりたいことにフルコミットしたい。それが自分の人生にとっての幸せなのではないか?と思うようになり、起業することにしたんです。


時代を変えるサービスは、「誰かのためになりたい」「こんな世界を生み出したい」という一人の熱狂的な想いから生まれるものだと思います。私は、そんな人たちがつくる”時代を変えるサービス”を支援したい。時代を変えるサービスの成長の支援を通じて、新しい産業の火付け役になりたい。そして、世の中を良い方向に変える火種をつくり、それを大きくして炎にしたい。そういう想いから、社名を「KAEN」に決めました。ちょうど令和元年で、31歳のときでした。



支出超過、減り続けるキャッシュ。コロナ禍で変わった潮目

─────創業後のKAENについて教えてください。


自己資金で起業し、「世の中を変えていくようなサービスの社会実装を支援したい」という想いでスタートしました。事業内容はスタートアップ向けの代理店構築コンサルで、メンバーは私一人です。


スタートアップと接していて感じていたのは、サービスをエンドユーザーに届けるための最後のラストワンマイルに課題を持っている会社が多いことです。これまでの当たり前を変えるような素晴らしいプロダクトやサービスをつくっても、それをお客様に提案するための営業ノウハウがない。または、営業のリソースも資金も少ないため、十分に市場にアプローチできない。そういうスタートアップは少なくないと思います。


一方で、良いサービスを仕入れて販売したいけれど、どのサービスが良いのかわからない、売ってみないと儲かるかわからない。そんな代理店さんも多いです。そのため、双方をつなぐことで良いサービスが広く世の中に広がっていくのではないかと考えたんです。


─────ローンチした後はいかがでしたか?


最初の数ヶ月は順調でした。ただ、コロナ禍になり、月の売上が半分以下に落ち込んでしまったんです。そこからは事業を存続させるために駆け回りました。助成金を活用しながら、何度も銀行に通って融資を獲得し、なんとか活動資金を手にすることができました。


資金的にも精神的にも少し余裕ができたので、仲間探しとプロダクトづくりに手をつけたんです。やはり私一人のリソースでは限界がありますし、「世の中を変えるようなサービスの社会実装を支援したい」と言っても、インパクトを出すことができません。


友人や知り合いに声をかけ、私の想いを伝えていったところ、一人のエンジニアを紹介してもらいました。そこからプロダクトづくりが本格的にスタートしていきました。


─────現在複数のプロダクトを展開していると思います。その中の一つ、『TAAAN(ターン)』について聞かせてください。

※本記事の内容はすべてインタビュー当時のものであり、現在とは異なる場合があります。 予めご了承ください。