
ハウスメーカーのトップ営 業から業界特化型SaaSへ。未知の世界に飛び込んだ普家の武器は、業界経験者ならではの業務解像度とブレない信念。
2025.08.01 公開
2025.08.01 公開
企業名:株式会社PICK
設立:2017年
事業内容:不動産・建築テックサービス「PICKFORM」の企画/開発/運用など
ミチビク株式会社 代表取締役CEO
国内で唯一、国土交通大臣より適法である旨の回答を取得した不動産電子取引サービス「PICKFORM」。代表の普家さんの想いと経験から生まれた不動産・建築業界を大きく前進させるサービスです。 普家さんは、オンオフに関わら ず、人のことを想えるナイスガイで、個人的にも大尊敬しています。人を想う気持ちから生まれた素晴らしいサービスなので、間違いなく成長するスタートアップです。普家さんの考えるパーパス『「住」を豊かに』の実現を楽しみにしています!
広島県の尾道市出身の普家(ふけ)と申します。普通の家と書いて「普家」という名前で、すごく変わった名字だと思います。尾道市にも20軒くらいしかいなくて、同じ名字であればほとんどが親戚というくらいです。
父親が自衛官だったことから、だいたい2年に1回、早ければ1年に1回は転勤をしていました。北は北海道から南は鹿児島まで、いろんな土地に引っ越していました。そのため、地元という場所がなくて、小学校のときはすごく嫌でしたね。友達ができたころに転勤になるので。
もうひとつ嫌だったことは、住まいです。自衛官は自衛隊の官舎に住むのですが、だいたい古くて狭いんです。5階建てくらいでエレベーターがないので、上り降りも大変でした。すぐに引っ越すので家を買うこともできなかったですし、子どもながらに「なぜこんなところに住んでいるんだろう?」と思うくらい、良い住環境ではなかったですね。
友達の家に遊びに行ったりすると、綺麗で広い家だったり、マンションだったりして、小さい頃は「いいなあ」「うらやましいなあ」と思っていました。ただ、そういう子ども時代を過ごしてきたからか、住宅に興味を持ち始めたんです。家に届く住宅のチラシ広告とかを見るのが好きで、「将来は建築家になりたい」みたいなことを言っていました。
大学に進学して、途中で文系に転向したので建築士になることは諦めたのですが、やっぱり住宅に関わりたいと考え、大手のハウスメーカーに営業として就職したんです。
注文住宅の営業を8年くらいやっていたのですが、ありがたいことにたくさんのお客様に支えていただいて、営業成績は良かったです。いわゆる「トップ営業」みたいな感じで、会社から表彰してもらったりしていました。
それは事実ですが、たまたまだと思います。しかも1度だけですし。そのときは調子が良くて、半期で区切った際にたまたま1位になれたというだ けで。
不動産の営業と聞くと、どんどん押していくパワフルな営業のイメージがあるかもしれませんが、注文住宅の営業はちょっと違うと思っています。本当に何もないところから一緒につくりあげていくという感じで、ある意味コンサルのような仕事だったりするので、丁寧にヒアリングして、お客様の人生に寄り添い、一緒に家づくりをさせていただくというスタンスでやっていました。お預かりする金額も大きいので、人として信頼していただくことが何よりも大切だったと思います。
正確な数字は覚えていないのですが、おそらく7割くらいがご紹介いただいたお客様でした。少し高級なブランドだったこともあり、丁寧に家づくりをしていくと近所でちょっと目立つんです。「新しくできたあの家、良いよね」みたいな感じで話題になったりして、オーナー様に「どこでつくったの?」「営業さんを紹介してよ」という話が来たりして。そこからつないでいただき、どんどん連鎖していくという感じでした。
注文住宅の戸建てをメインでやっていたので、覚えることが多く、難易度が高かったという側面がありました。同じ予算で、同じハウスメーカーに依頼すれば、似たような仕上がりになると思っている方がけっこういらっしゃるのですが、全然そんなことはありません。担当する営業によって提案内容が異なりますし、提案内容は営業個人の経験値に左右されます。
基本的に、家を建てるのは一生のうち1回だけというお客様ばかりです。しかし、営業側は何度も家づくりを経験しています。それぞれの家づくりでたくさんのインプットをして、それを次の家づくりに活かす。そういう営業をしていれば、ニーズの引き出し方が豊富になりますし、ニーズに合った住まいや暮らしの提案ができるようになります。一方で、そうじゃない営業がいることも事実です。そのため、ある意味ですごく属人化していると思います。
偉そうな言い方になってしまうかもしれませんが、私はお客様に満足していただける自信がありました。ただ、正直なところ、担当する営業によっては、満足できない結果になっているお客様もいたと思います。同じ予算を使っているのに気の毒だなと感じていて、すべてのお客様に満足いただくにはどうすればいいんだろうと考えるようになったんです。
自分のなかで「どうすればいいだろう?」と悩みながら、ハウスメーカーで営業を続けていました。ありがたいことにたくさんの お客様とお付き合いがあり、いろんな相談をいただいていました。住宅が完成して、引渡しが終わればお付き合いが終わるわけではなく、信頼関係ができているので、その後も不動産に関するいろんな相談をいただくんです。
「相続が発生したんだけど、この不動産をどうすればいいと思う?売却するほうがいい?」といったものや、「収益用の不動産を買いたいので、なにかお勧めがあれば紹介して欲しい」など、相談の内容はさまざまです。ただ、私は所属しているハウスメーカーの商品しか提案できないので、相談にお応えするとしたら別の会社の誰かを紹介するしかないんです。
そういう相談が増えていく中で、「お客様に最適な提案ができていないかも」と思うようになりました。同時に、「自分で不動産屋をやれば、世の中にある多くの商材を扱える」「これを売りましょう、これを買いましょうと柔軟に提案できる」と考えたんです。そして、自分で不動産屋をやったほうが、目の前のお客様を幸せにできるんじゃないか。そう思うようになったんです。
たまたま中学の同級生が税理士事務所に勤めていたこともあり、「一緒に起業しないか」と声をかけました。彼は税務に強くて、私は営業が得意で、お客様もいる。ふたりでタッグを組めば、いまよりもお客様のお役に立てる はず。そこで、2018年にハウスメーカーを退職し、独立して不動産業を始めることにしました。そのときに設立したのが、PICKの前身となる会社になります。
その会社では、不動産業をメインに、いくつかのスモールビジネスをしていました。2人だけの小さな会社でしたが最初の1年で売上が億を超えて、順調なスタートだったと思います。そして、コロナ禍になったんです。
コロナ禍でいろんな業界が本当に大変だったと思うのですが、不動産の業界には大きな問題はなかったと思っています。問題はなかったものの、個人的には大きな心境の変化がありました。
会食や飲み会がなくなったことで家にいる時間が増えて、読書の時間や自分の気持ちとゆっくり向き合う時間が増えたんです。あるとき、「この先どうしていこうか」と考えていました。このまま不動産業を続けても、目の前のお客様を幸せにすることはできそうだ。メンバーを増やしていけば、売上10億円は突破できそうだし、100億円も夢じゃないかもしれない。でも、それでいいんだろうか。世の中にたくさんの不動産屋さんがあるなかで、自分がそれをやる意味ってなんだろう?そういうことを考えたんです。