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本日のゲスト

株式会社PLAYNEW 代表取締役CEO 小泉 翔

設立:2019

事業内容:サッカークラブ運営事業

推薦理由 - Reason for recommendation
川田勇輝

川田勇輝

株式会社KAEN 代表取締役

渋谷からサッカーで世界を目指す――そんなスケールの大きな挑戦に初めて触れたときの興奮は、今でも鮮明に覚えています。めちゃくちゃかっこいいです。小泉さんはクラブ経営にとどまらず、渋谷の都市や大手企業を巻き込みながら熱狂を生み出す経営者です。人の感情を揺さぶる力が求められるこれからの時代において、その視座と実行力は際立っています。だからこそ、この挑戦と想いを多くの人に知ってもらいたく、今回推薦させていただきました。

はじめに

1993年に開幕したJリーグは、「地域密着」を掲げ日本にプロサッカー文化を根付かせてきた。企業スポーツからの脱却を目指し、クラブは特定の企業のものではなく、地域のものへ。行政や住民とともに歩むモデルは、開幕から30年を経て日本サッカーの前提になった。

一方で、そのポリシーとは少し異なるスタンスでJリーグを目指すクラブがある。東京・渋谷を拠点とするSHIBUYA CITY FCだ。2015年に東京都社会人サッカーリーグに加盟した同チームは東京都リーグを駆け上がり、2026年シーズンからは地域リーグである関東サッカーリーグ1部での戦いが始まる。

彼らが構想するクラブ像は、単なる「地域の代表」にとどまらない。渋谷という都市が持つブランドとサッカーを掛け合わせ、カルチャーと接続し、世界に開かれた存在になることを見据えている。どこか欧州の都市型クラブを思わせながらも、地域に根差し、街の誇りとなるチームでありたいという強い意思は、Jリーグが掲げ続けてきた理念を確かに踏襲している。

渋谷という世界的にもユニークな都市で、このサッカークラブは何をしようとしているのか。その背景には、どんな想いがあるのか。今回は、SHIBUYA CITY FCを運営する株式会社PLAYNEWの小泉代表に、ThinkD単独でじっくりお話を伺った。



少年時代に培われた、「人生の舵は自分で握る」という考え方

─────まずは簡単な自己紹介をお願いします。


埼玉県出身で、普通の会社員の家庭に生まれました。やりたいことをやらせてくれる家庭で、いま思えば経済的には少し裕福だったと思います。やりたいこと、興味があることにどんどん挑戦させてくれたので、最高の環境で育ててもらったという感謝の気持ちがとても強いです。


僕は小さいころからサッカーに熱中していて、大宮アルディージャのユースチームでがんばっていました。でも、ヘルニアを持っていたこともあり、がんばるほど腰に負担がかかるようになってしまい、高校生のときにプロを諦めた経緯があります。


大学に進んでからも、サッカーは続けていました。プロを目指すわけではなかったのですが、小さいころから毎日ボールを蹴っていて、サッカーが大好きだったからです。サッカーがない生活は考えられなくて、地元のチームに所属して一年中サッカーをしていました。


─────大学では留学を経験されたとお聞きしています。どのようなきっかけがあったのでしょうか?


大学のカリキュラムの中に、卒業生が講演する授業がありました。そこに老舗の茶舗とコラボしたカフェをプロデュースした方がいらっしゃって、事業の話をしてくださいました。それがすごく印象的で、「自分で事業をつくる」ってすごくかっこいい話だと思いました。


それから、自分で学生団体をつくったり、起業家の方や経営者の方に会いに行って話を聞くようになりました。ちょうどTwitter(現 X)が出始めたころで、SNSでつながってリアルで会うといった流れができ始めた時期だったので、その流れに乗った感じです。


いろんな方と話をしてすごく楽しかったのですが、「自分もこれがやりたい!」と思えるものはありませんでした。何をしようかと考えたときに、興味があった英語を伸ばそうと思い、休学してアメリカに留学することにしました。


─────留学して、「これがやりたい!」に出会えたのでしょうか?


特に「これ!」といったものには出会いませんでしたが、それなりに楽しみながら半年間の留学期間が終わりました。ただ、日本とアメリカでは学期が始まるタイミングが異なるので、日本に戻っても次の学期まで数ヶ月のタイムラグがありました。


日本で大学が始まるまでぼんやりするのももったいないと思い、そのままアメリカに残ってあちこち旅してみることにしました。北米から南米、ヨーロッパ、中東、アジアと4〜5ヶ月ほどで25カ国くらいまわったのですが、たくさんの出会いにも恵まれてとても良い経験ができたと思っています。


─────留学や世界一周を経験して、ご自身の中に変化はありましたか?


変化というか、再認識したことは、僕にとっては「日本が一番良い」ということでした。それは日本以外の国を経験したから認識できたことだと思います。同時に、「こんなに素晴らしい国なのに、幸せそうに見える人が少ないのはなぜだろう?」という強烈な違和感がありました。


就職して働くことが正しいという空気のなかで、本心とは違うけどまわりに合わせて生きていく窮屈さがあると感じました。「人生を楽しもう」という温度が、どこか低い気がしたんです。


それってとてももったいないことだと思いました。いま思えば若気の至りのような気がしますが、旅の途中で知り合った同世代の仲間も同じようなことを考えていて、みんなで新しいムーブメントをつくろうと『TABIPPO(タビッポ)』という学生団体を立ち上げました。


─────TABIPPOではどのような取り組みをしていたのでしょうか?


若者が世界中を旅することをもっと当たり前にしたいと思い、そのきっかけづくりをしていました。旅を通じていろんな経験ができますし、結果的に日本の素晴らしさに気づくことができると思ったからです。


学生団体の規模が少しずつ大きくなっていく中で、人や情報、物がたくさん動くようになり、非営利団体でありながらも事業のようになっていきました。そして次第に、「このまま続けるよりも、一度ちゃんとした会社を経験したほうがいいな」と考えるようになりました。そこで、TABIPPOは仲間に任せ、大学を卒業して就職することにしたんです。


─────新卒でサイバーエージェントに入社されたとうかがいました。


そうですね。2012年に入社して、広告営業をしていましたがすごく大変でした。僕がそこまで優秀ではなかったからだと思うのですが、まわりを見てみると頭が良くて、コミュニケーションが上手で、行動力があって、誠実で、というタイプばかり。そういう同僚と競い合っていたので、どれだけ必死に仕事をしてもなかなか追いつけませんでした。


最終的には、同期に圧倒的なレベルの差を見せつけられて、退職することにしました。素晴らしい会社でしたし、同僚や先輩のことはいまでも大好きです。ただ、そんな同僚との勝負に打ち込めないとわかったから辞めたということです。


─────「同僚との勝負に打ち込めない」というのは、どういう意味でしょうか?


要は、誰かとの勝負に勝つことに対して、心の底から一生懸命になれないということです。僕は「本当に好きなことしかがんばれない」とわかりました。


誰かと勝負するなかで、勝てるように必死にがんばる。その中でわかることや成長することはたくさんあると思います。ただ、当時の僕は、勝負相手と圧倒的な差があったので、勝てるわけがないと感じた。だったら、自分が好きなことを思い切りやろう。そのほうが楽しい人生が送れるはずだと考えました。


─────そういうことですね。では、ご自身にとっての「本当に好きなこと」とは何だったのでしょうか?


「サッカー」か「旅」でした。サッカー関連の仕事をさがす。もしくはTABIPPOを法人化して自分たちで事業をやる。これらの選択肢があったなかで、僕が選んだのはTABIPPOの法人化でした。過去の実績があったので、ある程度事業化のイメージが持てたというのが大きいです。


「本当に好きなことに打ち込むようにした」と言えば聞こえはいいですが、いま振り返ってみると、サイバーエージェントで同期から圧倒的な差を見せつけられる毎日から逃げ出したい気持ちもあったのだと思います。そうやって自分の気持ちに折り合いをつけながらも、自分の人生だからできるだけ後悔のないようにしたくて決断しました。


─────会社としてのTABIPPOについて教えてください。


法人化したのが2014年で、学生団体を立ち上げた当時の仲間と一緒に3人で創業しました。僕はサイバーエージェントの広告営業出身で、ほかの2人はオプト出身でした。まずは自分たちの強みを活かそうと、ITやSEO、インターネット広告の知識を思い切り注ぎ込んで海外旅行メディアを立ち上げました。


メディアは、多ければ月に数百万PVを集めるようになりました。そこで得た収益を旅関係のイベントや世界中の写真集や書籍の出版に使い、少しずつ周辺事業を育てていくというやり方で事業を拡大していきました。金銭的な余裕はありませんでしたが、「若者が世界中を旅することをもっと当たり前にする」という夢に向かって、とても充実していたと思います。


「学生のうちに海外を経験する。そんな新しい当たり前をつくる」といったビジョンにロマンを感じていましたし、自分が本当にやりたいことに打ち込めていたので、とても楽しかったです。


─────そんなTABIPPOを退職されることになりますが、どのような経緯があったのでしょうか?


簡単に言えば、TABIPPOでやりたいことを実現することがとても難しいと思ったことがきっかけです。


若者が世界を旅することを当たり前にしたいという想いからTABIPPOを立ち上げ、メディアやイベントを軸に活動しました。事業としても成長しましたが、「文化をつくる」には国家施策レベルの継続が必要だと感じ、理想とのギャップに悩むようになりました。


事業は成長していましたが、掲げたビジョンとの差は大きく、ギャップを埋める方法を見つけられませんでした。さらに先へ進むためにがんばるか、「自分の役目はここまで」として身を引くか。20代後半の2年くらいは、すごくモヤモヤしていました。


その後、参画することになるPLAYNEWには、元々ボランティアのような形で関わっていました。話が少し複雑になってしまうのですが、2014年くらいから週末に仲間で集まってサッカーをしていたんです。当時はTOKYO CITY F.C.というチーム名で、2015年から東京都リーグにも加盟していました。


チームが東京都リーグ2部に昇格したタイミングで、運営会社として創業されたのが株式会社PLAYNEWです。僕は兼業のような感じで関わっていて、割合としてはTABIPPOが8割、PLAYNEWが2割くらいだったと思います。


TABIPPOで壁にぶつかってモヤモヤしていたころにコロナ禍になり、海外への旅は全面ストップになりました。僕自身も20代が終わり、30代に突入したタイミングでした。「自分が本当に好きなことのうち、旅については思い切りチャレンジした。じゃあ次はサッカーだ!」と考え、今度はサッカーに振り切ることにしました。




熱い想いと仲間を起点に、事業をつくる

─────サッカークラブの運営企業は、世の中的にも少し珍しいと思います。どのような仕事をしているのか、教えてください。


まずは営業です。僕が入社したころはフルタイムの社員は1人だけだったので、スポンサーを集めることが一番大切な仕事でした。


サイバーエージェントにいたころは、広告の費用対効果をずっと追いかけていました。リスティング広告の運用状況とか、細かい数字のチェックばかりしていました。そんなことをしていた僕が、夢を語り、「僕たちを応援してください!お金を出してください!」というお願い営業になるわけです。まったく違った世界に来た感じがしました。


ただ、振り返ってみると、お願い営業の方が自分には向いていたのではないかと思います。数字やデータではなく、無形の魅力や可能性をいかに伝え、仲間になってもらうかがポイントになります。僕にとってサッカーは本当に好きなものですし、世界一周したときにいろんな都市でサッカーチームを見てきました。自分の気持ちや経験も総動員して、スポンサーを集めています。


集めたお金を使い、選手を獲得することも重要な仕事です。とにかくチームを強くするために、上手い選手に来てもらいたい。だから当初は、Jリーガーを引退した選手とか、大学までサッカーをやっていたけどプロになれなかった選手とか、いろんな人に声をかけていました。


また、これはスポンサー集めと少し似ているのですが、地元企業や行政も含めた地域の人たちとのつながりづくりです。地域でちゃんとつながって、渋谷という街にしっかり根付いていく。そして、一緒にこの街を盛り上げていく。地域の一員として認めてもらえるように、いろんなところに顔を出し、普段からコミュニケーションが取れる関係性をつくっておくようにしています。


スポンサー集めと選手獲得、そして地域連携。これらが僕の中ではソフト面での大切な仕事ですね。


─────ありがとうございます。ハード面ではどのような仕事があるのでしょうか?


これはわかりやすくて、まずは施設に関する仕事です。たとえば練習場をつくるとか、クラブハウスをつくるとか。長期的なプロジェクトとしては、先々を見据えたスタジアム建設についての検討などがあります。


あとは、ブランディングです。「SHIBUYA CITY FC」というブランドをIP(※)として強くしていくための活動ですね。


(※)IP:Intellectual Property=知的財産。ブランドやキャラクター、世界観など、そのものに価値がある資産のこと。


─────いろいろな仕事を進めていく中で、うまくいっているのはどれだと思いますか?


スポンサー集めや地域との連携はうまくいっていると思います。スポンサー集めに関しては、早い段階から東急さんや伊藤園さんといった渋谷にゆかりのある大企業が後押しをしてくれました。


地域との連携についても、サッカーチームと一緒になって街を盛り上げていくぞ!というムーブメントがこれまで少なかったこともあり、まわりを巻き込んで応援してくれるフォロワーを増やしていく取り組みはすごくうまくいっていると感じています。


─────地域との連携がうまくいったのは、なぜだと思いますか?


渋谷は見せ方やカルチャーへの感度が高い街だと思っています。だからロゴや世界観づくりに本気でこだわる僕たちのスタンスが受け入れられたのだと思います。


僕たちの中にはチーム立ち上げ当時から「カッコつけたい」という気持ちがあって、ロゴづくりもすごくこだわっていました。そういった「カッコよくありたい」という僕たちの気持ちと、渋谷の街が持っている空気が、うまく重なったのだと思っています。


─────つまり、渋谷だからうまくいったという意味でしょうか?


おっしゃる通りです。僕たちは『渋谷から、世界で最もワクワクするフットボールクラブをつくる。』というフィロソフィーを掲げています。これは前身のTOKYO CITY F.C.をつくったときからみんなで言っていたことなのですが、渋谷で生まれたサッカークラブがすごく強くなったら、世の中にものすごいインパクトを与えられるんじゃないかというのは、チームをつくった当初から変わらずに持ち続けている考えです。


渋谷というドメインとサッカーというドメインは、どちらもグローバルで非常に強力です。そのふたつを掛け合わせたとしたら、とんでもないポテンシャルがあると思っています。


だから僕たちは渋谷にこだわっていますし、こだわったからこそマッチできたと思います。もし「渋谷以外の街でやってくれ」と言われたら、チームも会社も解散するつもりです。


─────ドメインの掛け算は面白い観点ですね。小泉さんたち以前に同じようなことをするチームが出てこなかったのは、なぜだと思いますか?


なぜでしょう、理由はうまく説明できないのですが、、、たまたま誰もやっていなかったんです。明確な理由はわかりませんが、少なくとも当時は「都心でクラブチームを持つ」という発想自体が一般的ではなかったのかもしれません。


これまで、渋谷に限らず、いわゆる都心と言われている街にはサッカーチームがありませんでした。これは、世界のいろんな都市をまわってきた僕からすると、すごく不思議なことでした。ヨーロッパであれば、ロンドンにも、パリにも、バルセロナにも、サッカーチームがあります。


都心で、経済が強くて、世界的な知名度がある。そんな街には、必ずと言っていいほど強いサッカーチームがあります。スポーツビジネスがしっかり機能し、チームの強化にお金が流れ、産業として発展していく。そんなサイクルがあります。おそらくですが、サッカー先進国と言われる国を上から見ていくと、その国のど真ん中の都市にサッカーチームがあるはずです。


そういうのを世界中で見てきた僕からすれば、渋谷にサッカーチームがなかったのは本当に不思議で、ある意味で奇跡のように感じました。「まだ誰もやっていないから、自分たちでやろう」という感じです。


─────東京にもいくつかJ1のチームがありますが、確かに都心ではないですね。練習場やスタジアムといったハード面の課題が多いからでしょうか?


それは確かに大きな課題だと思います。ただ、その課題を乗り越えることができれば、渋谷のような街にサッカーチームが誕生するわけですよね。それは大きなロマンだと思いますし、そのロマンがあるからこそスポンサー集めや地域との連携がうまくいっているのだと思います。


渋谷で生まれたチームがJリーグに行くことはもちろん、ゆくゆくは僕たちのチームから日本代表選手が生まれるかもしれません。そんな大きな夢をみんなで掲げて、その実現に向けて一緒にがんばっていく。この挑戦の物語に魅力を感じてくれた人がたくさんいるのだと思います。


─────確かに、そのような未来を想像するとワクワクしますね。うまくいっていることについてお聞きしましたが、逆に苦労されたことについても聞かせてください。


東京都リーグ1部から関東リーグに昇格できなかった4年間は、本当につらかったですね。


東京都リーグから関東リーグ、関東リーグからJFL、JFLからJ3、そしてJ2、J1へという具合に、とにかくピラミッドを駆け上がっていこうと考えていました。2015年に東京都リーグに加盟して、入口の4部からスタートし、1部まで順調に昇格できたものの、そこでつまづいてしまったんです。しかも、同じ東京都リーグ1部で4年間も足踏みしてしまいました。


特にしんどかったのは、2年連続で昇格を逃したことです。少し専門的な話になるのですが、東京都リーグ1部で3位以内に入ると、同じく神奈川県や埼玉県の上位チームでトーナメント戦をします。そのトーナメントで決勝まで進んだ2チームが、翌年からひとつ上のカテゴリーである関東リーグに昇格できるという仕組みです。


しかし、2022年シーズンはトーナメント2回戦で、2023年シーズンはトーナメント準決勝で敗退してしまいました。特に2023年シーズンは、東京都リーグ1部を1位で突破し、トーナメント準決勝までたどり着いて、「この試合に勝てばついに昇格」というところでの敗退だったので相当こたえました。


サポーターのみなさんも必死に応援してくれてすごい熱気だったのですが、後半44分に勝ち越しゴールを許してしまい、そのまま試合が終了しました。僕も含めて、みんな膝から崩れ落ちて、声を出して泣いていました。


─────2年連続ですか、、、。それは本当に悔しいですね、、、。


ただ、月並みですけど、その悔しさやとんでもない悲しみがあったからこそ、翌年のシーズンを勝ち切ることができたと思います。


2024年シーズンは東京都リーグ1部を2位で終え、関東リーグ昇格をかけたトーナメントに進みました。順調に勝ち上がり、決勝の相手は東京都リーグ1部で1位だったライバルチームでした。


決勝を2対1で勝利した瞬間、ピッチの選手も、関係者席の僕たちも、サポーターのみなさんも、一斉に感情が爆発して、雄叫びというかみんなが泣き叫ぶような感じでしたね。大人が大声をあげて泣きながらあちこちで抱き合っていて、日常生活ではなかなか出会わないような、異様で特別な雰囲気でした。


僕がPLAYNEWの代表になったのは2021年なのですが、やっと東京都リーグを卒業して上のカテゴリーに昇格できたので、すごくうれしかったですし、ホッとしましたね。


─────代表になられてから関東リーグに昇格するまでの3年間は、どのような気持ちだったのでしょうか?


スポンサー集めや地域との連携がうまくいっていた分、精神的にキツかったです。スポンサーさんに対して申し訳ないという気持ちがとにかく大きかったと思います。


社内稟議を通してスポンサー契約をしてくださる社長さんがいるとしますよね。その会社の社員のなかには「社長がサッカーが好きだから、自分の趣味に無駄金を使っている」と思っている人が絶対にいるはずです。


僕たちが勝ち上がり、世の中への露出が増え、広告効果でお返しすることで、スポンサー契約をしてくれた社長さんの判断は正しかったと証明できる。その機会を逃し続けていたので、期待に応えられなかったということが本当にキツかったです。


─────なぜ昇格できなかったのか、原因はどのように分析していたのでしょうか?


シンプルに言えば、突き抜けられていなかったのだと思います。東京都リーグを勝ち抜くことはできるのですが、その先に待っている一発勝負のトーナメントを勝ち抜くだけの突き抜けた強さがありませんでした。


もちろん、J1のチームであってもトーナメント戦で下部リーグのチームに負けることがあります。運の要素もありますから、勝負の世界で100%を保証することは難しいのですが、突き抜けた強さがあればスムーズに昇格できたのかもしれません。


一方で、難しさでもあり面白さでもあると感じているのは、年に1回しか昇格のチャンスがないということです。これを普通のビジネスに置き換えるなら、年に1回しか商談機会をいただけないようなものです。もし失注してしまったら、次の提案機会は1年後です。


─────1年に1回しかチャンスがないのはつらいですね。


しかも私の場合は、商談に参加することなく、外から応援するだけです。当事者になれないもどかしさがありますが、だからこそチャンスを手にしたときのよろこびは凄まじいものがあります。


シーズンが始まるまでにできる限りの準備をして、シーズンが始まったら選手に任せる。自分でがんばれる部分と、自分ではどうにもできない部分が混在しているんです。どちらかといえばどうにもできない部分の割合が高いのですが、みんなを信じて、すべてを賭ける。その結果、地獄の悲しみが待っているか、歓喜の瞬間が待っているか。両方を経験してみて思うのは、非常にロマンがあり、そして中毒性が高いということです。


スポンサーや地域のみなさんと一緒に、チームも渋谷の街も盛り上げていき、将来的には世界のビッグクラブに並ぶような大きな事業に育てていきたいと思っています。




魅力的な事業をつくるための仕事哲学と今後のビジョン

─────ここまでお話を聞いていると、関わった人と深く、濃いつながりをつくっている印象があります。そんな小泉さんが、大切にしている哲学があれば教えてください。


まず、自分自身が「幸せな人生を送りたい」と強く思っています。だからこそ、自分が本当にやりたいことだけに打ち込んできましたし、これからもそうすると思います。そして、人生を終えるときに「最高だった!」と言って死にたいと思っています。


個人的にはそういう人が増えたら最高だと思っていて、そういう人を増やすために仕事をがんばっているところがあります。だって、幸せになることを否定する人はいないと思うからです。


そう考えたときに、幸せを感じる機会を他の誰かに提供できたらうれしいですし、仲間と一緒に幸せを感じることができたら素晴らしいと思っています。子どもっぽいかもしれませんが、とにかくみんなと最高の人生を送りたいんです(笑)。


この考えが根っこにあり、いまはサッカーを通じて「最高の人生だった!」と言える人を増やしたいと心から思っています。


この想いを実現するために、サッカーというのは非常に適していると思っています。クラブの運営に関わるようになったこの数年は、僕にとって人生で何度目かの青春ですし、同じように感じてくれている社員もいます。スポンサーや地域のみなさんも、SHIBUYA CITY FCのがんばりが日々の活力になっているはずです。


みんなで支え合いながら、盛り上がりながら、感情を爆発させることができるのがスポーツの魅力のひとつだと思っているので、そういった動物的で本能的な人間の欲求を大切にしたいと思っています。


そのためにも、僕たちが上を目指して挑戦する姿を見せ続けること、そして結果を出すことが大切です。やっぱり言葉だけじゃなく行動が伴わないと説得力がないですし、挑戦するだけで夢が叶わなければ、応援していてもしんどくなってしまうと思うからです。


─────具体的には、どのような目標に向けて挑戦しているのでしょうか?


「J1で優勝する」という大きな目標を掲げています。これを20年後の2046年までに達成したいと思っています。2046年はW杯イヤーなので、そこまでにJ1で優勝して、SHIBUYA CITY FCから日本代表選手を輩出したい。そして、日本がW杯で優勝する。


これが僕たちが描いている挑戦のストーリーで、これが達成できたら「最高の人生だった!」と胸を張って言えると思います。壮大な話ですけど、これを段階的に達成していく過程で、関わる人たちにエネルギーを与えることもできますし、僕たちもエールをもらうことができます。そうやって、お互いに刺激を与え合いながら、共にいい人生を送っていきたい。そんなことをずっと考えています。


─────ありがとうございます。身近な存在である社員の方やチームの選手と接するときに、心がけていることがあれば教えてください。


社員に対しては、本音で話すように心がけています。PLAYNEWは正社員10名ほどの会社なので、この規模だからできるのかもしれませんが、できるだけ包み隠さずに本音で話すようにしています。だから社員も、建前じゃなく本音をストレートに言ってくれる気がしています。


たとえば、小さなお子さんがいて、朝会社に行くときに奥さんから「保育園に送って行ってよ」と頼まれることがあるとしますよね。でも、保育園に寄ってから出社すると始業時間に間に合わない。どうしよう、、、みたいなことってあると思います。


遅刻の理由を正直に話しても、「工夫が足りない」と受け取られかねません。だから本当の事情を言えず、苦しくなる人もいると思います。


そういう水面下の苦労を見せずに仕事で成果を出す人が評価されるのかもしれないですが、PLAYNEWでは起きていることや思っていることを本音で話すようにしています。そのほうが相手に対しても真剣に向き合えるというか、大きな目標に向かってがんばるときの連帯感が増すというか、そういう感覚があるからです。


だから会社ではみんなストレートに本音をいうことが多いです。「小泉さん、ぶっちゃけいまの給料じゃキツいです。ローンの返済があるのであと少し上げてください」とか、そういう話もあります。僕も、不平等が起きないように真剣に検討して、回答しています。もちろん断ることもありますから、理由と一緒にちゃんと説明するようにしています。


─────社員の方とはできるだけ包み隠さず話すわけですね。チームの選手とはどうでしょうか?


彼らの人生を本気で考えるというか、「彼らのために生きる」というスタンスを忘れないようにしています。


僕たちのようなサッカーチームは選手の入れ替わりがすごく激しいです。1年に30%くらいが入れ替わります。カテゴリーを上げていくために、戦力になる選手を補強して、代わりに試合に出られなくなる選手との契約は終了します。要は、戦力外通告です。平均すると2〜3年で全員が入れ替わる計算になります。


選手の入れ替わりはどのチームも似た状況だと思いますが、僕が個人的に気をつけているのは、契約終了になってもなおSHIBUYA CITY FCを好きでいてもらえるように考えるということです。愛社精神みたいなものを、どうやって醸成するかをすごく意識しています。


─────それが「彼らのために生きる」ということですね。


おっしゃる通りです。スポーツ選手のセカンドキャリア問題ってあるじゃないですか。本来であればクラブが真剣に考えることだと僕は思っているのですが、選手とは業務委託契約なので、厳密に言えばクラブ側には義務も責任もありません。


契約が終了した選手のその後の人生を考えると、本人ががんばってどうにかするか、クラブがサポートしてあげるかの二択だと思っていて、僕は自分にできることがあるならちゃんとやろうという考えなんです。


─────具体的にはどのようなサポートを?


まずは、次の進路が決まるまでちゃんと相談に乗ることです。別のチームに移籍する人もいれば、選手を引退して社会に出る人もいます。後者の場合は、スポンサーの中で採用を検討している企業がないか探すようにしています。そして、お互いに条件が合うようなら、間を取り持つという感じです。もちろん、手数料とか紹介料はいただきません。スポンサー企業にはお世話になっていますし、がんばってくれた選手にもこれまでの感謝の気持ちを伝えたいからです。


SHIBUYA CITY FCにはスポンサー企業が300社ほどあります。契約を終了した選手から進路についての相談が来たタイミングで、スポンサー企業を紹介できる可能性があることや紹介の進め方について説明するようにしています。


選手の入れ替わりは激しいですが、それでも契約を終了するのは年間で10名ほどです。これくらいであればいまはまだサポートできるので、続けられるだけ続けようと思っています。


─────素晴らしいサポートだと思います。


これを繰り返していたら、チームを去った後に「SHIBUYA CITY FCは良いチームだった」と言ってくれる人が多いです(笑)。「フロントとして戻りたい」と言ってくれる人もいますし、選手を紹介してくれる人もいます。契約終了で関係性が終わるのではなく、つながりが続いたり、広がったりするので、お互いにとって良いことだと思っています。


同じようなことをしているチームは、あまりないようです。やはり、渋谷に本拠地があることから、大手企業も含めてスポンサーが多いという強みがあるからできることなのだと思います。そういう意味ではラッキーだと思いますし、せっかく手にしたラッキーだからこそ自分のやりたいようにしっかり活用したいと思っています。


─────「自分のやりたいことを思い切りやる」というスタンスを貫いていらっしゃいますね。


自分の人生ですから、ほかの誰かの行き先を決めてもらうのではなく、自分で舵を切りたいという気持ちが強いです。人生の主導権は自分で持っていたいというか。


あとは、少し抽象的なのですが、僕は自己認識が高いタイプなのだと思います。自分の中で、「僕ならできるな」とか「僕じゃ無理だな」とか、できること・できないことが明確になっている気がします。


だからこそ、「こうやって生きることが、自分にとって最高に楽しい人生になるはずだ」ということも、なんとなくイメージが持てています。あとは、そのイメージに沿って一生懸命に生きていく。


裏を返すと、自分が描いている「こう生きたい」という状態と現実にズレがあると、ものすごく不安を感じます。求めていない方向に人生が進んでいきそうなときには大きな恐怖を覚えるので、そうならないように常にチェックしているという言い方ができるかもしれません。


─────今後についてお聞きします。2046年のW杯に日本代表を輩出したいという大きな目標はお聞きしました。そこにいたるまでのロードマップについてはどうでしょうか?


リーグに加盟して10年が経ちました。東京都リーグ4部からスタートして、2026年シーズンは関東リーグ1部での戦いが始まります。ここからJFL、J3、J2、J1とあと4つのカテゴリーを登っていきたいと考えています。なので、J1に昇格することが2046年よりも手前にある目標ですね。


カテゴリーが上がるにつれて、求められるスタジアムのスペックも上がっていきます(※)。そのための資金集めも必要ですし、いまよりももっと多くの協力者を見つけていかなくてはいけません。


(※)たとえば収容人数でいえば「J1=1万5,000人以上」「J2=1万人以上」「J3=5,000人以上」が目安となる。ほかにも屋根の設置割合が決められていたり、ナイトゲームや国際放映に対応できる照明設備が必要など、さまざまな基準をクリアしたスタジアムが必要。


元日本代表監督の岡田武史さんがオーナーをしているFC今治というチームがあるのですが、J1を目指すにあたって将来的な拡張を想定したスタジアムをつくりました。これは、J1に昇格してから基準を満たすスタジアムを建設するよりも、将来的に基準を満たすスタジアムに拡張できるように初期設計を行ったそうです。


市場から調達やクラウドファンディングを掛け合わせて建設資金をつくったようで、このような事例からも学ばせてもらいながら、今後15年くらいの計画でJ1を目指していきたいと考えています。


─────その計画が実現するころ、サッカーを通じて世の中にどんな影響を与えているでしょうか?


魂が揺さぶられるというか、感情が爆発して思わず叫びたくなるような、そんな体験を提供できるようになりたいと思っています。


15年後とか20年後というと、このままテクノロジーが進化していけば、AIやロボットがなんでもしてくれる世の中になっているかもしれません。仕事は趣味でやる、みたいな世界線も十分にあり得ると思います。そうなったときに、身体性を伴う体験の価値は、相対的にいまよりも高くなっていくのではないでしょうか。


そんな未来を見据えたときに、いま考えているアイデアのひとつは、スタジアムへの電子端末の持ち込み禁止です。


─────スマートフォンやタブレット、デジカメなどですか?


そうです。現実的な運用については細かく検討しきれていませんが、電子端末を使わずにスタジアムでのサッカー観戦というエンタメを心から楽しんでほしいと思っています。


スタジアムで写真を撮ってSNSにアップするのもいいですが、僕は「家に帰ってからでもいいじゃん」と思うんです。それよりも、目の前にあるエンタメに没入してもらいたい。応援しているチームが勝って一緒によろこんだり、負けて悔しがったり。そういった人間的な感情の揺れを、できるだけ高い純度で感じてもらいたいと考えています。


普段の生活ではなかなか味わえない、スタジアムに行ったからこそ体験できることが絶対にあるはずです。それを渋谷で提供できることが僕たちの価値です、というメッセージで事業展開していくことも考えています。


スタジアムに入ったら大きな歓声が聞こえてきて、名前も知らない人たちと一緒になって選手のプレーに声援を送る。チャンスが来てもピンチになってもドキドキして、ちょっと体温が上がったりして、目の前で起きていることに身体が反応する。渋谷でそんな体験ができるのって、すごく価値があると思っています。


─────テクノロジーの時代に極上のアナログ体験を提供するのはおもしろいですね。


この先、僕たちがJ1に行けたとして、歴史と実績を積み重ねて地域とも深くつながることができたとしたら。渋谷の人たちにとって、SHIBUYA CITY FCがある日常が当たり前になるはずです。


チームが優勝したから家族でお寿司を食べようとか、最近連敗しているからちょっと気になるなとか、渋谷の人たちの生活に溶け込んでいくはずです。


プレミアリーグやセリアAなど歴史のあるリーグには、そんな素敵な関係性のチームと街がたくさんあります。僕たちが死んだあと、SHIBUYA CITY FCと渋谷の街がそうなっていたら素晴らしいと思いますし、その土台をつくるために仲間と一緒にやり切りたいと思っています。そして、「最高だった!」と言って人生を終えたいと思っています。


会社概要 - company profile

企業名:株式会社PLAYNEW

事業内容:サッカークラブ運営事業

コーポレートサイト:https://www.scfc.jp/company

インタビューを終えて
山内基

山内基

株式会社ディプコア ThinkD編集長

取材中、小泉氏が何気なく口にしたのが「これは街づくりプロジェクトだと思っています」という言葉。この一言で、彼が見ている景色の解像度が一気に上がりました。 SHIBUYA CITY FCは単なるサッカークラブではありません。試合に勝ち、カテゴリーを昇格することだけが目的の事業でもありません。彼が描いているのは、サッカーを起点に文化が生まれ、人が集まり、飲食やアパレルといった周辺産業が育ち、街の誇りとして根づいていく未来です。 それはクラブチームの経営というよりも、都市IPの設計に近いです。クラブを競技団体としてではなく、都市の物語を生み出す装置として構想している点に、彼の独自性があると思います。しかも舞台は渋谷。世界的なプレゼンスを持つこの街で、スポーツを軸に都市のあり方を再設計する。そのスケール感と視野の広さは、既存の「地域密着型クラブ」の枠を軽やかに飛び越えていました。

※本記事の内容はすべてインタビュー当時のものであり、現在とは異なる場合があります。 予めご了承ください。
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