
新しい働き方の提示。不動産売買のワンストップ化。ビジョナリーな施策を実現する江口の、 理想の組織と理想の自分。
2025.03.24 公開
2025.03.24 公開
企業名:株式会社TERASS
設立:2018年
事業内容:不動産仲介・不動産関連ITサービスの開発/提供
株式会社Leaner Technologies代表取締役
TERASSは、不動産仲介のプロフェッショナルが集まる次世代型不動産エージェントファームとして、DXを活用し不動産取引業界に革新をもたらしています。DXを活用し調達・購買業務を改革するLeanerとしても、江口さんの挑戦に大いに共感し、その取り組みを心から応援しています!
東京で生まれて、東京で育ちました。祖父と父がそれぞれ事業をやっていて、叔父は建築士で従兄弟は大学の助教授。身内には事業家や個人事業主が多く、いわゆる会社員は少数という環境で育ちました。中学高校ではバスケットボールに打ち込み、高校3年生ではバイトや学園祭の実行委員長をやっていました。大学では学生団体を運営していて、けっこう活動的なタイプだったと思います。
小さなころから事業家や個人事業主が多い環境で育っていたので、ゆくゆくは自分で事業をやりたいという想いがありました。ただ、「この分野で起業しよう」という対象がなかったため、まずは社会に出て経験を積もうと考えたんです。
慶應義塾大学を卒業して、株式会社リクルートに入社しました。どうせ仕事をがんばるなら大きなインパクトを与えられる仕事に携わりたいと思い、人材事業か不動産事業に希望を出しました。配属されたのは不動産事業で、SUUMOの広告営業としてキャリアがスタートしました。
最初はなかなか成果を出すことができなくて、はじめて営業目標を達成したのは12ヶ月後でした。時間はかかったものの、100社以上の不動産ディベロッパーを担当するようになり、顧客のビジネスを支援する仕事にやりがいを感じていました。その後、企画職に異動し、不動産売買領域のメディアプロデューサーとして商品戦略の策定や営業推進、新商品の開発などを担当しました。SUUMOというサービスをさらに大きく成長させることがミッションだったので、ここでもやりがいを感じることができました。
当時読んだ本の中では『V字回復の経営』が特に印象に残っています。その影響もあって、起業して0から1をつくるよりも、1を10にするほうが世の中に大きなインパクトを出せるんじゃないかと考えるようになっていきました。そこで、起業家からプロの経営者へ目標をシフトしたんです。
ただし、この目標を達成するには、経営レイヤーの仕事を経験する必要があります。リクルートでその仕事を経験するには、役員以上の役職に昇進しなければいけません。ライバルも多く、なかなか時間がかかりそうでした。
そこで目線を少し変えて、プロの経営者と呼ばれる人たちがどのような経歴なのかを調べました。すると、戦略コンサルティング会社の出身者が多いことがわかり、私もその道を目指し て転職することにしたんです。
転職先はマッキンゼーアンドカンパニーで、経営戦略コンサルタントとして入社しました。新規事業開発やマーケティング戦略の立案、M&A、PMI(Post-Merger Integration=M&A後の統合プロセスのこと)などのプロジェクトを担当しました。ムダを削減するよりも売上拡大に関するプロジェクトのほうが好みで、さまざまな業界の顧客のグロース戦略立案に携わっていました。
コンサルタントの経験を積みながら、改めて自分自身のキャリアについてじっくり考えました。さまざまな選択肢の中で、育ってきた環境が影響したのかもしれませんが、自分の中でも起業が一番しっくりきました。そこから、ベンチャーキャピタルでゼネラルパートナーをしている方を紹介いただき、「何をするか」の壁打ちを重ねていきました。そして、不動産や英会話、エンターテインメントなど複数の事業案の中から、不動産領域に絞って起業をすることにしたんです。リクルートでSUUMOに関わっていたことに加えて、私自身が複数の不動産売買を経験していて、業界のさまざまな課題を実感していたことが決め手になりました。
エンジニアと一緒に共同創業したいと考えていたので、リクルートの同期に「優秀な人がいたら紹介して欲しい」とお願いしたんです。そこで紹介してもらったのが、当時リクルートのインターンをしていた高坂です。不動産領域はレガシーな業界で、これから技術的な開拓が進むはずだから一緒に新しいサービスをつくろう!と声をかけて、ふたりで始めました。
「何をやるか」ですが、着目したのは「クラウドブローカレッジ」というモデルです。すでにアメリカで流行っていたクラウド型の仲介モデルで、「日本でも成功するんじゃないか?」という仮説を持っていました。このモデルに本腰を入れて取り組んでいる企業がほとんどなかったため、「自分たちでやろう!」と事業化に着手したんです。
転換期だったからだと思います。このころ、不動産業界ではふたつの変化がありました。ひとつは業法の変化です。少し専門的な話になりますが、2020年に宅建業法の解釈が変更されました。従来は、専任の宅地建物 取引士は事務所に常勤していることが原則でしたが、必要に応じて柔軟な勤務形態も認められるようになりました。
もうひとつは情報の透明度が上がったという変化です。これまでは物件情報が企業に紐づいていて、いわゆる「情報の囲い込み」が起きやすい状態でした。その慣習が緩和され、個人でも物件情報にある程度アクセスできるようになり、不動産取引の自由度が高まってきたんです。
業法の解釈と業界の慣習が変わったことで、従来よりも不動産取引に関わる自由度が増しました。いち早く「クラウドブローカレッジ」のモデルを持ち込んだ私たちにとっては、追い風になったと思います。